菅直人とベント

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『メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故』という書籍を参考に、ベントの行われるまでの視察等の経緯を個人的に整理しておきます。

まず、福島第一原子力発電所現地での動きから。
現地では、3月12日の午前零時ごろから、ベントを行う準備を進めています。ベントに踏み切った理由は、その20分程度前に、1号機の格納容器の圧力を調べたところ、設計上の最高使用圧力427キロパスカルを大きく越えた600キロパスカルであることを確認したからです。

準備作業は難航することが容易に予想出来ました。
何故ならば、ベントをするときに動かさないといけない2種類の弁(MO弁とAO弁)はMO弁はモーターオペレイテッドバルブ、つまり電気がなければ動かず、AO弁はエアーオペレイテッドバルブ、つまり圧縮空気が開放には必要になる設計のものだった。
つまり、今はそれをスイッチで開放することは出来ないため、誰かがそこに行ってこじ開けなければ、ベントは出来ないような状態だったのです。
そして、その弁がどういう形式や構造なのか?ということは、もう原発から避難してしまっていた『協力会社』と呼ばれる下請けの社員や作業員のほうが詳しかったわけです。つまり、こういう緊急事態に使える知見を、東電社員自体は持っていなかったのです。

一方で首相官邸では、0時53分ごろ、地下の内閣危機管理センターにて首相を交えて、海江田大臣、枝野官房長官、細野首相補佐官、原子力安全委員会の班目委員長、東電の武黒フェローというメンバーで、ベント時に住民をどれだけ避難させる必要があるのか?などの議論を行っていた。そして、午前1時半に菅と海江田が『ベントは必要だ』と一致。武黒フェローにベントをするよう口頭で命令。その後、同時刻付近に発電所の吉田所長のもとに本店から「あらゆる方策を使って、ベントをしてほしい。午前3時に海江田大臣と当社が共同でベント実施を発表するので、その後にベントしてほしい」という指示がありました。
ここで、官邸にいる人々には、現地の『電気を失って、手動でベントを行わないといけない』という実情や危機感が武黒フェローも含め伝わっていなかったようです。
そんな状態で、いっこうにベント実施の準備が整ったという連絡が来ないので、官邸では『東電が躊躇しているのでは』という疑念が湧いてきたのです。
そんなときに『福島第一原発や三陸沖の被害状況を確認したい』と、菅総理が視察したい意向を示しだしたのです。

一方で吉田所長はベントを1号機を優先するのか、2号機で優先するのかを決断出来ずにいました。
それは、2つの矛盾した情報を吉田所長がしばらく持っていたからです。それは『1号機は注水がなんとか行われているが、圧力が上昇している。2号機は注水は止まっているが、圧力に異常がない』という情報でした。この矛盾した情報を保持していた理由は、誤った認識が混ざってしまっていたからです。
まず『1号機は注水はなんとか行われている』という認識が間違いでした。実は1号機で動いていると思われていた非常用復水器は実は止まってしまっていたのです。
なぜ非常用復水器が止まっていることを知らなかったのか?それは情報伝達が出来ていなかったことが原因の一つです。
非常用復水器は地震直後に作動していたのですが、『保安規定が定める冷却温度降下率を守れない』と判断した作業員の手で、所長に無断で止められ、その後も所長にそのことが伝わらずにいたのです。
ただ、実は非常用復水器は『フェールセーフ機能』によって手動停止せずとも止まっている可能性が有ったのですが、吉田所長を始めとした現場にいる人はだれもその可能性に気付かず、手動で止まっていることも気付かず、ずっといたわけです。
この手動停止されていたという事は、ベントを決意する2時間程度前に吉田所長に伝わって、そこから徐々に2号機から1号機へと危険視する対象が変わっていったのです。

しかし、注水ができているのかどうかさっぱりわからない状態になっていたことから(1号機の水位計が正しい水位を示さなくなっていて、水位が燃料棒が水の中に入っていることを示してしまっていたことも影響していただろう)吉田所長は2号機のベントを優先することを、午前2時35分に決意します。
しかし、2号機の当直者が確認しに行ったところ、実は冷却機能が動いていることが確認できたのです。それが確認できたと判断したのは、午前2時55分。ここで吉田所長は決断を一気に変更することを余儀なくされたのです。

一方で、枝野官房長官は午前3時12分の記者会見で、ベントの実施を明らかにすると同時に『菅総理の現地視察の最終調整を行っている』ということを発表しました。
記者会見では『ベントが行われてから、総理が現地に向かう算段になっている』というような説明を行っていました。
しかし、ベントはそんなに順調に行われるものではありませんでした。官邸にそういう情報が伝わっていなかったということでしょう。

なぜ官邸にここまで現地の情報が伝わっていなかったのか、それはどうも武黒フェローの連絡手段に方法があったようです。
武黒フェローは実は本社を経由しての情報しか知りませんでした。
官邸に詰めている政治家は武黒フェローは直接、吉田所長と連絡をとれていると思っていたのですが、実は武黒フェローは福島第一原発の電話番号すら、聞かれるまで知らなかったし、知ろうともしていなかったのです。
つまり、官邸には現場からの直接情報は何もなかったのです。
更に武黒フェローや、保安院の幹部は『なぜベントが遅れているのか』という説明が出来ませんでした。それが更に菅総理の現場視察意欲を高める要因になってしまいました。

菅総理の現場視察を諌める人も官邸にはいました。枝野官房長官も『総理が行くとかえって現場を混乱させたという中傷的・感情的な批判は免れない』と考え、強く思いとどまるように進言していました。
一方で、官邸にいた高官の多くは『一度明らかにした総理視察を取りやめてしまうと、それだけ深刻な事態なのだとしらしめることになり、パニックを引き起こしてしまうのでは』という恐れのほうを強く持っていたのだという。
結果的に午前6時に視察決行を決めて、午前6時14分には現地に向かて「スーパーピューマ」で飛び立ったのです。(じつはこの視察には海江田大臣も同行しようか迷っていたらしいが、さすがに総理と経産大臣がどちらも行くのはまずいと考えた福山官房副長官が止めたという)
この現地に行くヘリコプターの中で、班目委員長は菅総理に水素による爆発の可能性を問われ『水素は格納容器の中に逃げますが、格納容器の中は窒素が充満しており酸素はないので爆発することはありません』『今取り組もうとしているベントという作業によって大気中に放出されれば、酸素があるので燃焼反応は起きますが、それは煙突の上で起きるので爆発的事象にはなりません』ということを述べたのだという。

福島第一原子力発電所に到着した菅総理は会議室にて吉田所長と武藤副社長の説明を受けた。
菅「いったい、いつになったらベントをやるんだ」
武藤「電気の回復を待って電動で開けたいので、あと4時間はかかります」
吉田「後4時間必要です」
菅「4時間もかかるのか!もう、東電はずーっと『あと何時間です』って言っている。ずーっとそうじゃないか!」
吉田「とにかく必ずやります。」
(吉田所長、発電所の図面を取り出し説明)
吉田「どんなことがあっても、決死の覚悟で、決死隊を作ってやります。」

このやりとりで菅総理は納得。同行していた下村氏も「こりゃぜんぜん違うわ、官邸に来ている木偶の坊たちとぜんぜん違うわ」と思ったようです。
そして菅総理は53分ほど滞在、8時4分にヘリに乗り込み、福島第一原子力発電所を後にしました。
吉田所長はその後にする1分前に、発電所内に『9時目標で、ベントを実施すること』を指示して、1号機の当直に「被曝の恐れはあるが、現場に行って手動で操作願いたい」と伝えたそうです。

吉田所長はこの視察について「言い訳になるかもしれないけど、菅総理が現場に来たことで、そちらにばかり目が言ってしまい、2時間ほどベントなどの指示が出せなかった。当時は、すべて私が指示して動いていた。それが止まったことで、周りも動けなくなってしまった」と語っている。
実際に、東電が公表した1号機の運転日誌類を見ると、中央制御室に有ったホワイトボードの記述が菅が官邸を飛び立った時刻の後から、福島第一原子力発電所を立つまでの時間、なんの記述もなかったのだという。
これがどの程度影響を与えたのか、それはさっぱり分からないが。

吉田所長が菅総理に明言した決死隊は実際に行われましたが、弁の一方(MO弁)を開けた段階で断念せざるを得なくなります。
それは1人、限度を超えた被曝をした作業員を出してしまい、その作業員が体調不良を訴えたので病院に搬送したところ、もうその病院の医師も避難してしまっていることが判明したからです。
つまり、無理したときに対応してくれる医師が存在していなかったのです。
結局、その後、下請けの協力会社の事務所からコンプレッサー(空気圧縮機)を借りてそれを取り付けることでAO弁を開放。午後二時にベントを実施することが出来たのでした。

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