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結局、多数派たちの“寛容”に頼るしかないのを維持したい方々

2018/06/14 全期間:1views   直近一週間:views  直近一ヶ月:views

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よく、『社会が豊かになれば、マイノリティも恩恵を得られて、権利を得られる。だから多数派を敵視するのは馬鹿』みたいな事をいってフェミニストなどを批判する人がいるのだが(特に現在のアベノミクスを支持していそうな方に多い)こういう現実馬鹿みたいな意見が私は大嫌いだ。

この意見は『多数派が寛容を示すことで、権利が得られる』という現状の権力構造が前提になっている。
そういう構造が現在の問題を作っているという前提を、そのまま温存したままにしようとしているのだ。
そりゃ、どうでもいい人から見たら『権力構造なんかどうであろうと、権利が得られればそれでいいでしょ?』と思うのかもしれない。
しかし、現在の権利を得られていない原因を温存したままで居た場合、権利を得られたとしても、そこから状況が戻る可能性は残り続けるのだ。

そういう根本原因を改善しようとする行動を行ったり、主張を行うと『多数派を敵に回しても得はない』などと言われ
挙句自分が“寛容”にならない理由として『あいつらが馬鹿だから』と言い出すのだ。

理不尽にも程がある。

これは原発事故が起こる前の構造に似ているのだ。
原発をめぐる多数派というのは電力会社。
電力会社を批判していた方々は『あんな批判をしたから物事が悪い方向に進んだ』と、批判勢力が電力会社の言い訳材料にされた。

それと同じ光景が、ありとあらゆる場所で広がっているのだ。

結局『多数派に逆らう権利は与えられない』のがマイノリティなのだ。
多数派に寛容されないと、権利は与えられないのがマイノリティなのだ
それを崩すことは多数派を敵に回すことであり、バカ認定されて、まともに相手されないのだ。

マイノリティの権利は多数派の(黙って逆らわない限りの)“寛容”によって与えられる。
そのこと自体の問題点は、永遠に、何度指摘されようが無かったことになるのだ。
そんなもんだ。

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