裁量労働制と生産性向上の関係を考えた

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裁量労働制について
公明党の議員が、裁量労働制を取り上げた社説に以下のような反応を示していました。 新聞業界は記者を裁量労働制の下で働かせているんだから、それを辞めてから裁量労働制の文句を言え的なことなのでしょうか? 確かに、新聞記者は裁量労働制の元で働いてい...

上の記事を書いた後、結局、今回の働き方改革の関連法案からは、裁量労働制は削除されるということになりました。

今後は、その削除が『裁量労働制関係は全面削除』なのか、既存の対象者にも関係する『対象労働者の健康確保措置の充実』の部分は残すのか、裁量労働制に関連して高度プロフェッショナル制度も削除するよう働きかけるのか、というような部分が論点になるのかな、と思います。

さて、今回は裁量労働制が『労働生産性』となぜ関連するのか?というのを疑問に思ったので、それについて書いてみます。

今回、裁量労働制が削除されたことについて、『経済同友会の小林喜光代表幹事は「世界と比して低い生産性の向上が求められる中、今回の事態は極めて遺憾だ」などとするコメントを出した。』というニュースを目にしました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180301-00000129-mai-bus_all

裁量労働制がなぜ生産性向上と関係するのでしょうか。

まず、経団連や経済同友会、日本商工会議所などの経済界の狙いは、どうも『脱時間給』が生産性向上に資するという考え方があるようです。
日経新聞は、高度プロフェッショナル制度を『脱時間給制度』と書いているのですが、高度プロフェッショナル制度だけでなく、裁量労働制も実労働時間と給与の関係が薄れることを推進するという意味でそういうカテゴリに入るようです。

【働き方改革】裁量労働切り離しに経済界困惑 「完全形で成立を」要望
政府が働き方改革関連法案から裁量労働制の適用拡大の切り離しを決めたことに、経済界には困惑が広がる。経団連の榊原定征会長は1日、「柔軟で多様な働き方の選択肢が…

仕事の進め方や時間配分を働き手にゆだねる裁量労働制は、生産性向上への本人の意識を高められるという意義がある。

生産性向上 遠のく

小林氏は、工場勤務など時間で管理される一般労働者に比べて裁量労働者は仕事の成果で評価されることから、両者の労働時間を比べる意義は薄いと強調。

裁量労働制:データ処理問題 グラムとセンチを比べるようなもの 同友会代表幹事「違和感ある」 – 毎日新聞

一方、経済界とは関係ない、山本一郎やフジテレビの平井文夫解説委員は、以下のような認識を示しています。

働かずに結果も出さない大企業の中高年サラリーマンの高い給料を減らし、やる気と能力があって結果を出す若者、ママさん、高齢者、にその分を払う。

日本は社会主義国か 結果を出さないサラリーマンはもういらない

せめて、職業の範囲や年収をきちんと切って、これは高給取りの働かないおっさん対策とフリーランスや高給専門職のための制度ですよ、って説明していれば

裁量労働制は、働かないおっさん対策にもなるはずなのに

このように『高給取りだけど働かない中高年』対策という概念を持ち出してきているのですが、そもそも今回裁量労働制の、適用の拡大が予定されていたのは『本制度の適用について労働者本人の同意を得なければならないこと及び不同意の労働者に対し不利益取扱いをしてはならないこと』が前提である企画業務型裁量労働制であることを考えたら、どうやって本人の同意を取ってそういう人の給与を削減できるのか、現状でも抵抗されてるから出来ないという前提なはずなので、サッパリ理解不能なのですが、裁量労働制を巡ってそういう認識が出てきてしまうことこそが、調査でも一定程度示されていた、実態として本人の同意なんて機能し(てい)ないという証明なのではないかと思います。

本人の同意が機能するからこそ、柔軟な働き方などの『働き方改革』が機能していると言えるのではないかと思うのですが、なぜかそこがすっぽりと抜け落ちたまま、世代格差論などを巻き込んだ『働かせ方改革』が一部では促されてしまっているのです。

一方で、調べる前から、私の中には裁量労働制と生産性向上の関係性への一懸念がありました。
それは以下のようなものです。(経済学などを学んでいないので、素人考えであることを前提に以下は読んで下さい。)

裁量労働制というのは『みなし労働時間』により労働を評価する制度です。
生産性というのは、端的に言うと『価値生産量÷労働投入量』です。
つまり生産性向上は『少ない労働投入量で多く価値を生産できるようになる』ことです。

今回、国会にて行われた議論で、問題になったのは、『裁量労働制の方が一般的な労働者より、労働時間が少ない』と、全く比較できないデータを利用することで、裁量労働制下の労働時間を過小評価しようと図ったことでした。

労働時間を誤魔化すということは、労働投入量を誤魔化すということとほぼ同一だと思われます。

これらの情報などから、みなし労働時間などにより、実際に投入した労働時間よりも少ない労働時間で把握されてしまうことで、結果的に、実態と乖離した労働生産性の数字だけの向上が行われてしまうのではないか、と言うことを考えたのが、私の懸念です。

こういう部分も含め、労働法制に関する一番の問題は、それを守る主体であるはずの企業経営側の信頼性が薄いこと、そして違反を指導や摘発するはずの労基署が、労働力不足などにより、これまた信頼性にかけていることのように思います。

そこを改善することが優先されないと、裁量を労働者に与えたとして、端的な強弱関係になってしまい、企業間取引で下請けにしわ寄せをしていくような構図が、労働者との間にも増えていくだけなのではないでしょうか?

働き方や働かせ方の改革よりも、そういう企業の根本的な性格的なものを改善することが必要なのだろう、と私は考えました。

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