無償って、ただの出世払いだっけ

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高等教育について大学などに在学している間は授業料を無償化し、卒業後に一定の年収を超えた場合に、収入に応じて国に納付する新たな制度を検討する

大学在学中は授業料無償化し卒業後納付 首相に提言提出

これ、無償化とか言ってますけど、実態としては、無利子奨学金を授業料のみに適応という厳密な形にして、その代わり返済を余裕ある形にした、という話ですよね?

そういう話を無償化と表現するのは強引すぎる発想の転換ではないでしょうか?

本当に与党は発想力が豊かですね、政策通が何人もいるのでしょう(褒める意味で述べてませんからね?)

これを聞いたとき思い出した2つの教育無償化反対?意見があります。

まず、一つの方面は『教育国債は将来への借金のツケ回しだ by麻生太郎財務大臣』という教育国債への批判です。

この『教育国債は子どもに借金を回すだけ』という指摘に、『だったら本人にツケればいいじゃない』的な返しをしたのかな?と。
(結局別な場所で麻生大臣が述べた『教育国債の実質は親の世代が租税負担や教育費の捻出を逃げるため、子どもに借金を回すということ』という批判が当てはまるような形になってしまっているように思いますが)

もう一つは、財務省の審議会が『高等教育が生涯賃金の上昇という「個人の私的利益」につながることから、公費負担拡大による無償化には懐疑的』という見解を発表したことです。

この個人の私的利益という観点を受け入れた上で無償化するために『本人に将来の利益に応じて支払わせる』という考え方が出てきたのだろうと思います。

個人的に、この『一定の年収を超えた場合に、収入に応じて国に納付』という形式で思い出すのは、別な話ではありますが、今年度の税制改正で見直されて話題になった、配偶者控除や配偶者手当によって存在していた『年収の壁』というものです。

このように、配偶者控除や配偶者手当の存在で、一定の収入を上回ると、そこからある程度まで一気に伸びないと損をするため、一定の収入でとどめてしまう現象がある、と話題になり、それを解消しよう、という議論になったわけです。

今回、取り上げている一定の収入から返済が始まる奨学金制度は、設計に気をつけないと、この話と同じように収入を伸ばさないインセンティブになってしまう可能性があるように思われます。

個人的にはできるだけ多くの人を巻き込める形にするという意味では一定の評価ができるのかもな、とは思いますが、細かい制度設計が難しいように思いますし、このような小手先っぽくない、もっとシンプルな無償化を目指してほしいと思います。

また、自民党の財政再建に関する特命委員会というのが『無償化の財源は無駄な歳出削減で捻出すべきだ』と言っているようですが、民主党政権時代や民主党の政権交代直前くらいにやってた埋蔵金批判でも振り返ってみてはいかがかと思います。

もしかして、民主党政権はできなかったけど、安倍政権はそれをやってのける、というのでしょうか?高橋洋一氏のアドバイスでも受けながら。

そんなに都合よく削減できる歳出はなかなか見出しにくいわけで、それで捻出せよということは、要するに無償化反対と言っていると考えざるを得ないでしょう。

今の自民党ならば、こういう人達を黙らせるための憲法改正だ、なんて言うのかもしれませんが、結局憲法改正したところで無償化の方針は固定化するものの、財源バトルは続くわけで、実現性を現実的にする努力が今は一番重要なのだろうな、と思います。

本日、船田元氏が憲法審査会で語った『(教育を受ける権利に)『経済的理由を問わず』との文言を憲法に盛り込む』という提案を現実的にするためにも、無償化を現実化する方向性で自民党(や民進党)さんには頑張ってもらいたいです。(維新は頑張らなくていいです…)

 

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