国会は、行政監視と立法審議を担っている複雑な機関であるという話

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ワシ子供の頃想像してた国会
与「こんな法律必要やと思うんやが」
野「そうするとこんな弊害が起きるしここ直したらどや?」
与「ええやん」
本当の国会
与「こんな法律必要やと思うんやが」
野「そんな事よりこの事件の責任で辞職はよ」
与「それ関係ある?」
野「辞職!辞職!」
幼稚園かよ

ツイッターでこのような内容のツイートを見て、似たようなツイートを過去にも見たように思うのでこのツイートの内容に関して私見を書こうと思います。
(こういう認識をしている方を個人として晒すことが目的ではないのでツイート元はリンクしません。ツイッターの規約違反かもしれませんが…)

この記述だと、野党が国会に関係ない議論を持ち込んでいるだけのように見えて、結果的に「幼稚園かよ」と言いたくなるような議論に見える責任が野党にあるように見えてしまうわけですが、実際には野党も国会の一目的を果たしているのです。
以下、その部分について説明します。

冒頭の文章は、与党と野党のやり取りに終始しており、やり取りも立法部分に留まっています。
しかし、後半部分の与党の「それ関係ある?」という指摘に対して「辞職!辞職!」と返してる記述は煽り度合いが高いといいますか、野党に対する悪印象に基づいて書きすぎているように思います。

とりあえず、このやり取りに出てきていない方々がいます。
それは辞職を促されている閣僚、つまり行政府たる内閣が出てきていません。

国会には立法府というように、唯一の立法機関として不特定多数の人々に対して,不特定多数の事柄や事件に適用される法規範を作る役割が課されているのは冒頭の文章の通りです。

しかし、国会は立法だけが役割ではなく、三権分立の観点などから、行政監視の役割も果たすことが期待されています。

この立法と行政監視の観点が混ざるのは、日本が議院内閣制を採用している事も影響しているようにも思います。

議院内閣制では国会にて国会議員から内閣総理大臣を指名し、そこから国会議員を中心に内閣を組閣します。
この国会議員から内閣を組閣することから、内閣が立法権を持っているなど、内閣と与党が(事実上)一体化して、国会対応が行われる訳です。
つまり、立法と行政を一手に担う形になるわけです。

その一方で、野党は、行政を監視する観点、つまり現行の内閣が法や予算を執行するに適切かどうかを問う役割と、立法府が議論している法案自体が適切かどうかを問う役割を一手に担うことになるわけです。

そして、根本的な話として、行政府が適切に法や予算を執行しくれないと、どのような法律や予算を作っても実務が伴わない無駄なものになってしまうため、行政監視が第一になり、立法の議論はその後になるわけです。

つまり、首班指名に反対していた内閣に関係ない野党は「内閣は適切か?→適切です→では法律は適切ですか?」という手順で議論を行うのに対し、与党は組閣主体なので、「内閣は適切か?→適切です」という部分を省略するので、行政監視の観点と立法の観点で議論が合致しないという事態になるのです。

(衆参には、行政監視と名付けられた委員会[衆院は決算行政監視委員会]がありますが、予算委員会のようなテレビ入りなどがないことや、(参議院は)少々事務的な方面の議論を扱う委員会のため、他の委員会でのスキャンダル追及の場面を代わりに提供する委員会にはなり得ないと思われます。)

(例えば、民主党政権時代も、様々な問題を抱えた大臣の指摘に野党はリソースを割かれ、立法の方面は、閣僚の問題と両面展開しつつも議論が手薄と表面的には見えがちになってしまい、政権は無理やり立法議論を押し通し、強行採決に雪崩込む、ということが定番化していたと言えると思います。そして結果的には、野党自民党は行政監視[つまり閣僚の問題の指摘]に集中し、民主党政権(の閣僚)の信用がなくなった結果、民主党政権は下野することになったと記憶しています。)

また、近年、安倍首相が増税延期で解散したことについてなどで解散権の濫用という観点が、一部で言われていましたが、このように内閣が解散権を使う可能性が常に存在することで、常に内閣支持率や与党支持率を低下させないと野党はさらに壊滅する可能性を常に抱えていることになります。
この観点が、内閣支持率や与党支持率に直結する行政監視の観点に野党が拘る理由の一旦を担っています。

なので、議論が噛み合っていないのは確かなのですが、それは幼稚園だからではなく、むしろ大人の理解力を元に、ルールに最適化して一定程度合理的に常在戦場(常在戦場は野党が勝手にやっているわけではなく、現行の総理大臣が常在戦場だと発言しています。)として闘っている結果なのです。

解散権を全面的に握っている総理大臣が常在戦場を煽る以上、野党は常に不意討ち解散を警戒しないといけないわけで、落ち着いて議論をして地道に支持集めをしても不意討ち解散で全部台無しにされる事を考えてしまい、そのような手が打つことが困難になります。(こういう観点については、総理が解散権を握ることで、(野党は)落ち着いて議論ができないという記事を過去にも書きました)

そういうルールの部分や総理大臣の方針などが、野党方針にも影響を与えている、という観点を抜きにして、表面的な議論が噛み合っていないことと、野党が立法議論が出来ていないことだけを抜き出してしまうのは、有効な議論を呼ばず、さらに野党が議論出来なくなるだけではないか?と思うわけです。

国会で、有効な議論を行うためには、野党が悪い、首相が悪い、与党が悪いという当事者の善意に期待するような話よりも、ルールに沿って闘っていくと議論が成り立たなくなる、という前提で、そういう関係のルールについて、ある程度当事者の善意が無くとも議論が成り立つような見直しを考えていくことが必要なのだろうと、私は思います。

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