国政選挙

2017/02/08 今更正式に「日本のこころ」になったようです

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 日本のこころを大切にする党(中山恭子代表)は7日、党名を「日本のこころ」に変更することを決め、総務省に届けた。

同党筋は「名前を短くして覚えやすくし、浸透を図る」と説明している。所属国会議員は中山氏と中野正志幹事長の参院議員2人。1月に参院で自民党と統一会派を組んだ。(共同)

党名:「日本のこころ」に変更 - 毎日新聞

もう「大切にする」だなんて 言わないよ 絶対(もう恋なんてしないの曲に乗せて)

昨年の9月に検討をし(日本のこころを大切にする党、『大切にする』を捨てる事に - 興味乱舞に引きこもれず)、会派名だけ「日本のこころ」となっていた「日本のこころを大切にする党」が漸く党名も「日本のこころ」になったようです。(検討していたことなんて誰も覚えてなかったと思いますし、会派名変更もほとんど誰も知らなかったでしょう)

思えば次世代の党時代からたくさんこのBlogでこの党について触れているので、ざっくりと党の歴史を振り返ってみましょう。

まず、結党直後の衆院選で惨敗した後、幹事長、党首及び顧問が離党するという執行部からドンドン抜けていくという惨状でスタートし、結局党首と顧問2名が自民党に合流する結果となり、その後、新代表の中山恭子氏がいきなり党名を『日本のこころを大切にする党』にすると言い出し、結果、『顧問 両院議員総会長 総務会長 財務局長 党紀委員長 憲法調査会長』という役職を担っていた江口克彦氏も離党するということになり、さらにその党名変更をめぐって代表とその他議員の温度差が明らかになり、その後参院選で比例300万票という無謀な目標を立て(結果は約73万票)、その参院選の直前の京都3区の補欠選挙にて「右派という誤ったイメージを払拭する」と迷走し、結果、「参院選で負けたのは党名が長すぎて覚えてもらえなかったからだ」と言い出し、その後和田政宗氏すら離党し、自民党と共同会派になったというのがこれまでの「日本のこころ」の歴史でしょうか。

思えば「日本のこころを大切にする党」になったのも、「次世代の党」という名前で惨敗し「党名を一新して新しい気持ちで挑む」という理由でした。(その他、次世代の党は高齢者にウケが悪かったということも党首が話していたらしい)

党名変更というと、民主党が民進党にする時に散々に批判されていた覚えがあるのですが、批判すらそんなにされないという悲しい状態よりはマシなのかな、と思いました。

これが「日本のこころ」の最後の話題にならないといいですね。

 

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