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コンパクト五輪と復興五輪

2015/10/30 445views

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最近国立競技場問題が色々と騒がしかったですが、ここでオリンピックの売りっぽくなっていた部分について振り返ってみようと思います。

・コンパクト五輪

このコンパクト五輪というのは主に『距離』の点ですが、今回注目するのは距離ではなく『財政的なコンパクト五輪』です。

この、財政という観点がなぜ出てくるかというと、近年、アテネオリンピックや北京オリンピック、また『エコ』を表に出して既存設備の活用などを行っていたロンドンオリンピックでも『大会開催による再開発で大出費』という財政的な問題がつきものになってしまっているのです。

また、アテネオリンピックや北京オリンピックでは、新設された競技施設が廃墟になっているのが騒がれたりして、それらが日本でも問題視されていたので、出費を抑え、既存設備をなるべく活用するという方向に、という方向にするべき、という認識も有るのではないかと思います。

要するに、どこまでの新設が『レガシィ(遺産)』として適切なのか、オリンピック開催後に負の遺産にならない程度はどのくらいなのか?というのが問われている部分なのだと思います。

 

・復興五輪

(距離的な)コンパクト五輪と非常に矛盾する概念がこの復興五輪ではないでしょうか?

復興五輪というのは、ほとんど誘致の際には触れていない(“東京”五輪なんだからある種当たり前)、オリンピックでもたらされる益を被災地に回そう、という動きのことを指しています。

これ、被災地主導の動きは歓迎すべきなのですが、そうでない場合、被災地に負担をもたらす、もしくは大義名分のために被災地を利用している、という形になってしまうことが非常に微妙な感じなんですよね。

またコンパクト五輪として誘致しているために、会場を被災地にすることは本来は困難なことなのだろうと思います(被災地は東京から距離が有るため、コンパクトではなくなる)

なので会場としては利用できないものの、選手村の誘致などで『被災地を優先する』ということになっているようです。また、被災地で優先的にオリンピック関連のイベントを行うようです。(正直こういう脇のイベントに参加する感じが『被災地を巻き込んでる』感が拭えない理由のような気がする。)

ちなみに復興五輪については都が設置した『2020年オリンピック・パラリンピック招致に係る復興専門委員会』という委員会が報告書を出しているのですが、そこでは『関連事業を被災地に』というのが限界のようです。

そして最近は更に都合よく復興五輪という概念を使う人が現れました。それが舛添要一都知事です。

舛添要一都知事は昨年末に、予算が増大していく中、都への負担をこれ以上拡大させないために、復興五輪という概念を活用し、以下の様な提案を記者会見で行いました。

 

国際オリンピック委員会(IOC)が8日の臨時総会で、五輪の中長期改革案「アジェンダ2020」を承認したことを受け、東京都の舛添要一知事は9日の定例記者会見で、2020年五輪の一部の試合を東日本大震災被災地で開催することに意欲を示した。舛添知事は「(東京五輪は)『ここまで復興した』という日本を見せる大会であるべきだ」と強調。費用については「国民が合意してくれれば(震災の)復興予算から出せばいい。みんなの税金だから国会で、政治の世界で知恵を働かせるべきだ。そういう方向でやりたい」との考えを示した。

「アジェンダ2020」では、五輪開催都市の大会組織委員会による実施競技の追加提案権や、既存施設活用を目的とした複数都市での分散開催が認められた。

6年後の東京五輪は招致段階で「震災復興」を世界にアピールした経緯があり、現時点ではサッカーの一部の試合を東北地方で唯一、宮城スタジアム(宮城県利府町)で行う方針にしている。舛添知事は「できるだけのことはやりたい。他(の競技)もできればいい」とも語った。

舛添知事:被災地で分散開催方針 「復興五輪」に意欲

この記述の中に出てくる「アジェンダ2020」には以下の記述が書かれています。

2. IOCは既存施設の最大限の活用、および大会後に撤去が可能な仮設による施設の活用を積極的に奨励する。
3. IOCはオリンピック競技大会では、主に持続可能性の理由から、競技の予選については開催都市以外、さらに例外的な場合には開催国以外でも実施することを容認する。
4. IOCはオリンピック競技大会では、主に地理的要因や持続可能性の理由から、複数の競技または種別を開催都市以外で、または例外的な場合は開催国以外で実施することを認める。

このような記述があるアジェンダ2020が採択されたことで、会場の分散化を「アジェンダに沿うものだ」と言い訳できる事になったのです。なので被災地をオリンピックの一部競技会場にしようとする動きが生まれたのです。(ようするに事実上コンパクト五輪を放棄した)

しかし、復興予算を活用せよというのは、いくら復興五輪とはいえおかしいと思うのですが・・・。

 

ここまで見てくると『東京や政府がいかに地方をオリンピックに巻き込むか苦労している』様が見えてくるのではないでしょうか?また、『国民的に価値観を共有できていないままオリンピックを引き受けてしまい、その後価値観の部分で混乱している』という様も見えてくるのではないでしょうか?

 

 

 

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