だからと言って、それが日本の行為を見過ごす理由には決してならない

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雨宮さんは追悼の動機をこう語る。「捕虜は武器を捨てた人。こういった人たちを、強制労働とか拷問とか飢えとかで、殺してしまった。日本が国際条約に従って彼らを待遇していたならば、彼らは十分に食料が与えられ、過酷な労働も強制されず自分の国に帰って、愛する者に会えた。これは日本の本当に大きな罪だと思っています」。

軍国少年だった小学生の頃に終戦を迎え、「戦後70年、軍国主義から自らを開放することが私の人生だった」と言う。米国による広島・長崎への原爆投下を「米国の最大の罪」と主張するなど、戦争における罪が日本にだけあるとは思っていない。ただ、だからと言って、それが日本の行為を見過ごす理由には決してならないと信じている。

情報源: 草の根の追悼を重ねて—英連邦横浜戦没者墓地の夏 | nippon.com

最近、反戦教育などで、日本の戦争における罪を語ると『日本だけを責めるのか』という反発心を露わにする人がオモテに出てくるようになったようで、日々悲しい思いを抱いています。

その一方でこのような地道な追悼のような事を草の根できちんと続けられている方を扱った記事に『戦争における罪が日本にだけあるとは思っていない。ただ、だからと言って、それが日本の行為を見過ごす理由には決してならないと信じている。』という文言があることに心強い気持ちになりました。

日本の罪には黙り、日本の素晴らしい点はスタンディングオベーションで大げさに褒め称え(自党の議員にスタンディングオベーションをさせた首相のように)、他国の罪にはしつこく揚げ足を取ってでも怒り、他国の素晴らしい点は日本に都合のいい時だけ褒める。

そういう人間が目立ってきているだけでなく総理になるような国で、このような草の根活動をしている人は本当に大切であり、1人でも増えて欲しいと願うばかりです。

私がこのニュースを見た時に、1人の政治家を思い出しました。最近亡くなった加藤紘一さんです。加藤紘一さんはミャンマーに慰霊に行った際に倒れ、そのまま二年ほど病院で過ごし亡くなったようなのです。その慰霊についての描写が毎日新聞の記事にありました。

 実はそば屋会談では秘めていたが、加藤さんはその翌日、ミャンマーへ慰霊の旅にたったのである。元日本遺族会会長で元自民党幹事長の古賀誠さん(76)を伴って。「それは知らなかった。ミャンマーに行くとは言っていたが、農業支援かなんかだと思っていたから」。山崎さんは驚き、天を仰ぐようにつぶやいた。「そうか……壮絶な戦死だったかもしれないな」

秘書が現地で撮影したビデオには不自由な体を狭いヘリに押し込み、山また山を飛んでいく加藤さんがいた。10万人近くの日本兵が犠牲になったインパール作戦の地で慰霊するためだったが、雨天で引き返し、小さな空港脇ににわか祭壇をしつらえ、線香を手向け、持参した酒をまいた。古賀さんは水をまいた。ビデオで加藤さんは声を振り絞っている。

「水。冷たい水。本当に苦労した戦死者たちが一番欲しがったのは、最後に飲みたかったのは、それじゃないかなと。ここからインパールぎりぎりまで行こうとすると、車でも2時間半かかる。よくこんなところまで戦争にきたなあと思いますね」。そしてギョロリと目をむいた。「戦争やっちゃだめです。バカみたいなことやったなあと思いますね。戦いにきた人は勇壮な戦士なんですよ。でも本当に戦いで亡くなった方は少なかったんじゃないだろうか」

特集ワイド:加藤紘一さんはミャンマー慰霊の旅で倒れた 最強リベラルの「壮絶な戦死」 盟友に伝えきれなかった「遺言」 – 毎日新聞

加藤紘一氏のポジションを語る際に使われる単語は二つほどある。1つはリベラル。そしてもう一つ、保守本流だ。

 06年だったと思う。政界復帰を果たした加藤さんに山形市で再会した。「最近は地元(庄内地方)を回るのが楽しくてね」。意外だった。かつて「総理に一番近い男」と言われた大立者の表情から険が消え、軽口も飛び出した。実は浪人中、加藤さんの中で「保守とは何か」という命題を地域社会から解き明かそうとする心境の変化が起きていた。
加藤さんは著書『劇場政治の誤算』(09年)で、こう書いている。「政治家の使命は地元に行って国政を論ずるのではなく、国政に向けて『聞く』ことなのです」。一度外した議員バッジを、再度「集音マイク」(加藤さん)として作動させることで「保守本流」を再定義しようとしていたのだ。集団的自衛権の行使や原発の再稼働問題などを巡って世論が二分されている今こそ、加藤さんが言う「聞く力」が求められているのではないか。
官房長官時代、米国の銃乱射事件が懇談の話題になったことがあった。「ガン(銃)とドラッグ(薬物)は社会をむしばむ」と加藤さん。ここでも関心は国ではなくコミュニティーだった。

<加藤紘一氏死去>保守本流 地方から問う | 河北新報オンラインニュース

このようにリベラルと保守があいのりしているのが加藤紘一だった。これは加藤紘一氏が特別どうかしているのではなく、普通に『リベラルと保守は対立概念ではない』というだけの話です。リベラルと保守は普通に両立するんです。そしてそういう人が『保守本流』と言われていたわけです。

でも、そういう存在が最近はいないように思います。いても存在感が薄っぺらいというか。

保守と名乗る人間が、皆何かを勘違いしてリベラルを投げ捨てていく。そんな意味の分からない『真正保守』人間が増えているのが現状でしょう。

そういう人間が増えている中、保守本流がいなくなったのが政界のバランス崩壊の原因なのだろうな、と思います。

民進党にすら『真正保守』人間が増えているような政界で、保守本流を取り戻せるような状況が、どうしたらつくれるのか、考えていかないと行けないように思いました。

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