NHK 100分 de 名著 カント『永遠平和のために』

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100分 de 名著の8月分を見終えました。萱野稔人氏が解説をしていました。
見ながら色々と考えたので、内容に触れつつ考えたことを書き残しておきます。

(1)戦争の原因は排除できるか

第一夜は戦争の原因は排除できるか、というタイトルでどうしたら戦争が起こらないのか?という戦争が起こらない原因を追求する内容になっていました。

そこで出てきたキーワードといえるものは『平和とはすべての敵意を無くすことである』『人間は邪悪な存在である』『永遠平和は自然状態ではない。戦争状態が自然状態なのである』というようなものでしょうか。

まず、平和とは何か、という定義を確認しそこに至るために必要なことは何か、ということを考えていく。

人間は邪悪な存在であり、戦争状態が当たり前である。だから『なぜ人間は犯罪や戦争をするのか』という質問は当たり前の事を聞くナンセンスな質問である。

また、平和は新たに創出すべきものであって、その創出のためには相手に敵意がないことを保証できないといけない。

人間同士は、法という形式を使うことで平和状態を維持している。それと同じ仕組みを国家同士の関係でも取り入れないと「平和」とは言えない。ということらしい。

実際に「平和」を実現するのは非常に難しい。しかし、難しいからこそ、実現するための努力をしないといけない。というような趣旨の発言がなされていて、いろんな問題にこのことは適用できるなぁ、と思った。

 

(2)「世界国家」か「平和連合」か

第二夜は国家と国家の間で平和を確立する方法についての話。

永遠平和のためににて説かれた論が国連の元になったという。

世界国家という構想について、カントは否定的だという。それはなぜかというと、枠組みが大きすぎることでマイノリティがどんどん消滅していくから。
これは現状の国家という枠組みでのマイノリティという存在を考えると納得できる説明だと思う。
さらに言うと、現在のグローバリズムについても同じことを言えるのだろう。

さらに、世界国家を採用してしまうと『一つになっていること』が絶対となってしまい、その枠組みを維持するために、離脱したい人たちを力で黙らせる方向に至ってしまう可能性が高いので、採用するべきではないということも解説では述べていた。
これも私は納得した。特に最近政治界隈で『一つになっていること』を絶対となってしまうことを多く見ていたために。

素晴らしすぎる理想を掲げることで強硬になり、戦争に至ってしまうならば、戦争がおこらないようにとりあえず達成できそうなものを少しづつ積み重ねていこう。という解説は違和感を抱きながらも納得。
この解説はその一方で第一夜の『難しいからこそ、実現するための努力をしないといけない。』ということも忘れてはいけないのだろうな、と思いつつ聞いていた。

萱野稔人氏は、国連やEUが現状、微妙にしか機能していないことについて『当事国に関与させる工夫をすることが必要だ』『関与すればメリットが有る状態を作り、それを以下に理解できるようにするか、というのが重要だ』という趣旨のことを述べていた。
『インセンティブをきちんと作らないといけない』ということだろう。これも様々な方面で言えることだろう、と思った。

 

(3)人間の悪が平和の条件である

第三夜は哲学的な見方について

自然の摂理をカントは以下のように捉えているようだ。

1 自然は人間があらゆる地方で生活できるように配慮した
2 自然は戦争によって人間を人をも住めぬような場所(へき地)に居住させた
3 自然は戦争によって人間が法的状況に入らざるをえないようにした

人間は邪悪な人間だが、自分たちの生活が侵害されることに直面すると、邪悪な人間だからこそ、国家状態を作って自分の利益を確保しようとする。ということらしい。

これは戦争の肯定ではなく、「そもそも平和を構築しよう」と考えるのは争いごとがあるからだ、ということと、人間の本性に裏打ちされていないと平和は実現しない、ということを前提にした論だという。

理性や道徳で綺麗なことを言っても、人間の本性は邪悪だからそれだけでは平和は実現しない。平和の実現には、その邪悪な本性を理性によって利用することが必要だ、とも言っているらしい。

『悪魔たちであっても、知性を備えていれば、国家を樹立できるのだ』という言葉も紹介されていた。

そして国家と国家の関係をこの損得勘定に持ち込むためには『経済交流』が必要だ、といい、商業の精神は戦争と両立できない、ということを述べていた。
しかし現状を見ていると、これに1つの異議を挟まないといけないように思う。この『経済交流』というものが出来ない場合、商業的に不利益を被っている場合にどうすれば良いのか?という視点が欠けているように思えた。
そこが欠けていては国家間に上下関係が出来てしまい戦争に至ってしまうのではないか?と思った。

そういう部分も含めて『戦争をしないで問題を解決することが、それぞれに得になるような環境整備が大事』という事には納得した。

また、国家の暴走(戦争)を防ぐためには『行政権と立法権の分離を明確に行うことが大切だ』、ということも述べられているのだという。

この点、日本のような議院内閣制の形式を取ると特に『政党国家』状態というか、与党と政府が一体化して、行政権を執行する方々が立法権を握る国会をコントロールする状態となり、行政権と立法権の分離が曖昧になっていく傾向があるように思うので、きっちりとこの点を詰めていかないといけないのだろうと思った。(菅直人の『民主主義は期限を区切った独裁』というのは、この国会と政府が一体化し、行政権と立法権が曖昧化している政党国家状態を見事に表現した表現だと思う。)

 

(4)カントが目指したもの

第四夜はカントが導いた結論について。

まずカントが「道徳」というものをどう捉えていたかについて。

我々は、道徳ということを聞くと以下の様な事を考えるのではないだろうか?

「嘘をついてはいけません」
「人を殺してはいけません」

でも、カントはこういう『内容』を道徳として語るのは問題がある、という。

その例えとして、暴力から逃げてきた人を家に匿っている時に、その人を追っかけてきた人に対して匿っている事を正直に言うのか、嘘をついて匿っていないというのか、というものを出して、そこでは例外的にウソを付く人がほとんどだろうと言う。
そういう具体例を検討していくと、内容を道徳としてしまうと、矛盾や例外がどうしても出てきてしまって、道徳というものが尊重されなくなってしまう。

そこで、内容ではなくて、道徳は形式なんだ、とカントは説いているのだという。(形式とは、

道徳=誰がどんな場合でも無条件に従うべきもの。

つまり『みんながこうすべきだと思うこと=道徳』であって、内容はその都度それに沿っているのか考えられるべきなのだ、ということのようだ。(これを萱野稔人氏は『誰もがやっていいと思えることだけをやってください』と表現していた)

そして例外が無いことが『公平性』への第一歩であり、法律もそういう公平性を高める事をすることが法を守ろうという気持ちを高めることにつながり、平和へとつながっていくのだ、という。

また、ここから『公開性』が重要だという話も導かれる。

公開されるからこそ、『みんながこうすべきだと思うこと』をする動機になるのだという。
公開されているからこそ、すべての眼差しに耐えうるものを行わないと自分に不利益になってしまうと考えるのだ。ということのようだ。

このようにカントは『人間が利己心に満ちて行動している中にも、平和に向かっていく要素が隠れている。』と考え、『そういう利己心・欲望をうまく活用する方法を考えることで、永遠平和を実現しよう』とかんがえていたようだ。

 

感想

この『人間は邪悪である』でも『平和は実現できる』という考え方は、どうしても『理想主義VS現実主義』みたいな枠組みで捉えられがち(そして『現実主義』を自称するものは理想をバカにしがち)だけど、そうではなくて『高い理想だからこそ、現実を前提にしないと実現できないのだ』という指摘だ、と私は受け取った。

今回の100分de名著で見た様々な考え方を忘れずに、様々なことをこれからも見ていけたら良いなぁ、と思った。

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