興味乱舞に引きこもれず

全記事数:651件

権利保護の緊縮削減に反対するブログ

格差・貧困問題 福祉・社会保障

日本のこころの貧困~杉田水脈の問題点

 全期間:195views   直近一週間:views  直近一ヶ月:1views

アドセンス広告

この記事の所要時間: 536

杉田 水脈(すぎた みお) 公式ブログ : 子どもの貧困〜NHK報道の問題点 これに対しての批判です。
(ところで子どもに対して「子供って漢字でかけ!」と批判するのがこういう方面の方々だと思っていたのですが、普通に『子ども』って書いてますね。)

「子どもたちの6人に1人が貧困状態にある」その代表として登場した高校生が貧困とは程遠い生活をしていたとのことですが、この少女は「嘘をつけばどうなるか」ということについてとても貴重な体験をしたのではないかと思います。

そもそも『貧困とは程遠い生活』という事を簡単に決めつけているのがおかしいです。
貧困とは収入の額が第一の条件なはずなのにそこは一切考慮せずに『支出の内容がおかしい』だけで『貧困とは程遠い生活』と書いてしまう、その安易な決め付けが恐ろしい。

これは逆を考えて見ればいい話で、テレビニュースで時々強迫観念にでも駆られているかのような節約をしている人が出てくるじゃないですか。それは貧困なのか?と言ったら、貯蓄はきちんとなされているわけで、貧困ではないじゃないですか。
また、支出の問題を貧困を左右する概念として扱うためには、家計簿などで支出のデータを積み重ねる必要があるのですが、総務省の家計調査も標本数が少ない、手間がかかるために協力してもらえない場合がある、プライバシー的な考えで協力してもらえない場合がある、という問題があります。
つまり客観的なデータを積み重ねるのが、消費・支出という部分は困難なのです。

そのように『支出の多寡』というのは貧困を論じる際には、使ってしまうとあまりにも主観的になるから、収入の多寡で貧困かどうかを計るというのがこれまでの流れなんです。

(それに関して、結局報道ベースでは『収入の多寡による支出の障害』を示すしか術がないというのはそれはそれで問題なんですが、それは別の話)

このニュースで取り上げられた高校生の家族関係や、Twitterでの私的内容、そればかりか自宅の住所までインターネット上に晒されて、自宅の写真まで出回っているという話すらある。

そういうある意味『ストーカー問題』にすら関わってくるであろう程のプライバシーの侵害が発生しているのにそれを『貴重な体験』とあっさりと言ってのける精神が恐ろしい。

さらに言えば、今回少女はなにもウソは述べていないからこそ、報道で疑惑が起きた(疑惑と言われている部分はエピソードの捏造ではないわけで)わけで、もしこれが間違いだったならば少女に間違った貧困の定義を教えたりした周囲の人間の問題であるということを全く見ずに、安易に「ウソ」と言い、少女に責任を被せることが恐ろしい。

 

本当に子供の貧困はあります。行政の立場でいくつも現状を見てきました。その人たちは自分たちでそんな会議に出たり団体に参加したりできません。学校にすら行けません。だから、行政マンや専門家が必死で地域を歩いて探して探してしても見つからないのです。

 

残念ながら、「真実の貧困」をテレビ番組にして流すのは至難の業でしょう。私たちが見ることができるのはしょせん上辺だけなのです。

この理屈の問題点、わかりますか?
『真実の貧困は私たちには見えない』この理屈を正しいとしてしまうと、『自分から名乗ってきた貧困者は全部偽物』『見つかった貧困者は全部偽物』となってしまい、オモテに出ている人間は支援は一切不要と言えてしまうのです。
たとえ貧困者が情報を握って、希望を得たとしてもこの理屈があるかぎり偽物と突き放され、その希望を失うしか無いのです。
たとえ貧困者をみつけても『そんなに簡単に見つけられる貧困は、真実の貧困ではない』と言って突き放されてしまうわけです。
要するにこの理屈は窓際作戦の肯定でしかありません。
流石行政上がり、そういう腐った行政の理屈だけは一人前のようで、それが恐ろしい。

だからこそ、今子育て中の、またこれから子育てする方々にお願いしたい。
「せめて自分の子供だけはしっかり育てる。ちゃんと責任を持ってちゃんとした大人に育てる。」そんな気概を持ってほしい。
貧困の子供たちがかわいそうだと思うのなら、私たちにできることはただただそれだけではないかと思います。

ね、貧困は自己責任であり、公的支援は不要と暗に言い出しているでしょう。
これが先程の『見つかる貧困は真実の貧困ではない』理論のオチなんですよ。

例え貧困だったとしても名乗りでてはいけない。
名乗りでたものは「真実の貧困ではない」と切り捨てる。
切り捨てられたくないならば、行政が都合良く拾い上げてくれるのをただ祈って生き延びるのだ。
そして拾い上げてくれた時に『ありがたいありがたい』と最大の感謝を捧げるのだ。
そういう似非宗教まがいの行政運営をしたいのが日本のこころを持った方々なんですよ。

日本のこころを持った方々にとっては「私は貧困者だ」と名乗ることが『行政クーデター』なんですよ。どうせ。

 

それより問題なのは、子供の貧困を訴えて、自治体や国からの補助金目当てに会議や団体を立ち上げ、被害者ビジネスを行っている団体があるということです。

 

生活保護といえば不正受給のことばかりがクローズアップされますが、一番問題なのは、本当に必要な人のところに必要な支援が届かないことです。
そういった意味で、今回のような被害者ビジネス団体が大きな障害になっています。こんな団体があると行政は対応をしないといけません。その分労力が割かれますし、自治体によってはこれらの団体と一緒に行動することで「やったつもりになっている」ところも少なからず存在するでしょう。

被害者ビジネス団体、と述べていますが、そもそも今回の会合では何も儲けは発生しないでしょう。
問題啓発の段階だったわけで、行政の労力を割いているのは、今回のように多少の疑惑を針小棒大に騒ぎ立てる週刊誌レベルのゴシップで騒ぎ立てる日本のこころを持った方々じゃないんでしょうか?
(ちなみに、今回取り上げられた高校生が何らかの支援を受けているという情報はないと思います。ただニュースに取り上げられただけです。)

暗に貧困問題で騒ぐ人間を沈静化だけさせたいのが見え見えなのに、その沈静化だけする責任を『被害者ビジネス団体』という被害を訴える他所に押し付けて満足してしまうことが、慰安婦問題や性的被害問題とやり方が一緒すぎて、恐ろしい。

おわりに

このような発想の貧困、思想の貧困とでも言える部分が、こういう問題を見ている限り、日本のこころを持つ方々の一番の恐ろしいのように思うんですが、どうでしょう。

-格差・貧困問題, 福祉・社会保障
-, ,