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民主主義と市場の失敗

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合理的な人が選挙に行かないこれだけの理由 | 政策 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

『民主主義は、権力獲得の過程に(選挙という)競争原理を導入した』ということを前提に、選挙という市場にもっと合理的な人が参加しないといけない、的な話をしている記事です。
正直、この記事自体は何も新しい発見をもたらすものではないのですが、この記事を読みながら色々と考えたので、そのことについて記事に残しておきます。

 

この記事を読んで、改めて頭の中身が整理できたように思います。
そして、この記事が、市場の非合理性を受け容れず、あくまでも市場合理性を追求している事にすごい反発を覚えました。

投票に参加している人は非合理的な人で、参加していない人は合理的だというのは物事を一面的に見すぎているように思います。(あと、政治家の見方が非常に薄っぺらいというか視野がせまいといいうか、政治家も市場原理で動いていることを無視しているように思います。)
それと、近似ゼロ効果なるもので投票しない事を合理といいながら、全政党が増税見送りを掲げているのを批判する姿勢は両立し得ないように思います。商品選択の余地が無いといいますが、消費者に一番魅力的な商品を全員が生産した結果であり、市場で生き残りを図る政党単独としてはとても「合理」的であるように思います。

この「合理」というのは個人の立場のみを考えた「合理」です。
個人的な合理を追求することで、全体的な合理性が意図せず失われるというのは社会的ジレンマ・合成の誤謬といった単語でよく知られる事態であります。
そして合成の誤謬というのは経済学でも使われるワードです。
ここに気づく人が本当に「合理的」と言えるのではないでしょうか?

また、民主主義は投票だけではありません。
市場というものが常にうごいているように、民主主義も選挙がなくとも常に動いています。
この投票で左右される民主主義というのはあくまでも「間接民主制」という民主主義の1つの形でしかありません。

それを示す1つの動きが「世論調査」というものだと私は思います。
投票以外の意思表示手段の1つであり、民主主義というものの1つの重要な仕組みになっているように思います。
(経済的な話で言うと「マーケット調査」的なものになるのだろうか)

また、参加民主主義という言葉があります。
選挙だけではなく、いろんな形で政治に関わることが必要だ、直接民主制により近づけることが必要だという、そういう思想がこの言葉に含まれています。
そういう方面の視点がこの記事からスッポ抜けていて、あくまでも選挙で全部解決していこうとしているのが非常に気になります。

 

さて、増税見送りを行うことが合理的である、と述べました。
これは市場のルール、つまり選挙制度と世論調査の結果を考えればアタリマエのことだと思います。

例えば毎日新聞の2016年5月末の世論調査だと、消費税増税延期賛成が66%という結果が出ています。(また、その結果を掲載した記事には、4月の調査で増税反対が59%、増税賛成が31%だったことが書かれていました。)

そして、市場での生存をするルールはあくまでも『トップだけが生存する』というルールになっています。
参院選だと中選挙区も存在していたり、衆参両院の選挙に比例選挙も存在しているので、微妙なルールではあるのですが、基本的には「小選挙区」というトップだけが生存する選挙区が、選挙結果の大勢を決めるような選挙制度になっているのです。(比例区や中選挙区は勢力均衡が起きやすいため)

つまり、明快にどちらかの優勢が分かるような政策は一番になり得る選択肢を選ぶというのが、市場での生き残り戦略として正しい動きになるのです。

この市場のルールを無視して、不利な競争を避けることを政治家というプレーヤーの問題にしてしまうのは、大きな誤りであると思います。
つまり、今の状況を改善し、選挙での商品を多様にし、競争をさせたいなら、独占禁止法を作るなり、ニッチな商品でも生き残れる市場設計(つまり選挙制度の改正)をする必要があるのではないか?ということに気付かないといけないのです。

 

話を戻します。
市場原理主義というのは経済学の常識で否定されているというのを、よくわかんない人を侮辱している恋愛工学を作り上げた藤沢数希氏が書いています。(経済学では否定されている「市場原理主義」|日本人がグローバル資本主義で生き抜くための経済学入門|ダイヤモンド・オンライン)

そこで扱われているのが「市場の失敗」の代表的なものが4パターンあるということです。(4パターン“しかない”と書いていますが、ここまで筆者を信用することは私には出来ません。あんなへんてこな恋愛学書いてる人ですし。)

この4パターンを政治に当てはめて考えてみましょう。

 

1つ目が「規模の経済と独占企業」

規模の経済というのは、企業の規模が大きくなるほどコスト削減など市場で有利な条件を得られるという効果のことで、この効果がガッチリと効くことで独占企業となり、競争を歪めてしまう、という失敗です。こういう状態を防ぐのが「独占禁止法」なわけです。

政治の世界では独占禁止法を作ることは出来ないでしょう。思想信条の自由がありますし、現在、複数の政治団体が存在し得るため独占禁止法をつくる理由がありません。

しかし、個人的には歴史的にずっと与党であった自民党に規模の経済がガッチリと働いているように思えるのですが、これをどうやったら証明できるのか、そしてどうやったら規模の経済を解消できるのか、ちょっと見えてこないです。

 

2つ目は『外部不経済』

公害のように、市場の内部の取引当事者以外に費用などの不利益をもたらすことを指します。

これは政治で言うと、投票できる有権者以外に不利益をもたらすような政策を選挙で推進していくことになるでしょうか?
人によっては増税を避ける行為がこれにあたるのでしょう。

市場では公害問題に規制がかけられるように、政治でもそういう行為に規制がかけられれば良いのですがそんなことが出来るはずもないので、当事者がどうにかしないといけないのでしょう。なかなかつらいと思いますが。

 

3つ目は『公共財の提供』です。

要するに公共財はただ乗りする人ばかりになって、だれも金を出さなくなるので、民間企業ではサービスを提供し続けられない、ということです。
(市場に任せてしまうと、取り返しの付かない格差となってしまう可能性が高い。救急車の有料化などを想像してみると良いように思う)

これは政治に当てはめるのは難しそうですが、そっくりそのままおおさか維新の会などにぶつけてみたら良いようには思いました。

 

4つ目は情報の非対称性。

サービスを売る側が、サービスを買う側より情報を圧倒的に多く持っていることで、取引が不公平なものになってしまうことを指します。

これは、普通に政治の世界でも『行政の情報隠し』なんていう問題が扱われています。
そして情報公開というのが現在の政治の大きな課題になっています。

この話を選挙に結びつけると、候補者に対する情報に関する非対称性が存在する可能性を考えてしまいます。
これに関してはジャーナリズムの奮起を期待するしかなさそうだと思います。

 

このように市場での競争というのは一定の規制が無いと成り立たないようになっています。

つまり投票を市場での競争と見なす場合、そこの制度設計をしっかりとしないと、その競争は「市場の失敗」を導いてしまうことになります。

そういう制度設計の部分を無視して政治家のモラルなどの個人の問題に落とし込んでしまうのは、様々な場面で見る話なのですが、根本的な問題を放置してしまいかねない非常に危うい議論だと私は思います。

 

私はこれからも民主主義下での競争を、いかに有益なものにしていくかについて考えていきたいと思いましたし、社会制度をその都度検討し、修正することの重要性というのを様々な場面で説いていくことの必要性を強く感じました。

 

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