影響が出た人数を情報として出すことの影響

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鉄道が様々な理由があり、運転見合わせになった時、ニュースでは『〇万人に影響が出ました』という事が当たり前に付随情報として伝えられる。

そして日々、私たちはそれを当たり前として違和感なく受け取っている。

この事故で、銀座線は一時、全線で運転を見合わせ、およそ3万7000人に影響が出ました。

盲導犬連れた男性がホームから転落、電車にはねられ死亡 News i – TBSの動画ニュースサイト

『電車で飛び込み自殺が有ったことを聞いて、「迷惑だ」という人がいる程、日本はブラック社会なんだ』みたいなことをいう人が最近増えているように感じる。

私もそう思う人が出てきてしまう程、社会的に過負担を人間に強いている、そんな社会が組み立てられてしまっているのだろう、というようなことは思う。

そのような事を考えるようになった上で、今回の上のようなニュースを見て、とてつもなく強い違和感を抱いた。

例えば、鉄道会社側に瑕疵が有ったなど、運営側に誤りがあった場合に、その誤りの重大性を示す情報として影響が出た人数を出すのは理解できるだろう。

一方で、人の命が失われている場合に、このような情報をニュースに載せるということは、ニュースの受け取り手には『一人の命と、影響が出た大勢、どちらが重要ですか?』という事を暗黙の内に突きつけているのだ、ということに今更ながら気付いた。

しかも今回の案件は、誰も意図していない事態だ。そんな事態であることを踏まえた上で、何人に影響が出たかということを情報として知ることで、何が生み出されるというのだろうか。

さらに言うと、ニュースの出し手すら、この影響が出た人数を載せることが、実はそのような問いを生み出すということを意図していない。

でも、このような事態で『何人に影響が出たのか』という情報が出されることは、憎悪感情を煽ることにつながりかねないのではないだろうか?

誰も悪意が有って情報を出しているわけではないことは理解している。しかし、そんな場合でも懸念しないといけないことはあると思う。

 

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