熊本地震で表面化した『相談相手がいない』という問題

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録画をしていたハートネットTVによる熊本地震被災者の現状報告を見ました。(5月31日放送分)

内容としては、現在行われている、元々施設やヘルパーさんを利用しておらず、避難所にも避難できず自宅にいる方を全戸訪問して支援が必要かどうか確認する活動について紹介されていたりしました。

それを見ていて思ったのは『もし地震が起きていなかったら、この方はどうなっていたんだろう』みたいなことでした。

なんというか必要な支援が本当になされていたのか?
本当は崖っぷちになんとかしがみついているのが、周りから見えなくなっていただけではないか?
崖から落ちてないから大丈夫と、本人も含め思っていただけで、地震がなくても問題の先送りにしかなってなかったのではないか?
もっと言うと、ずっと『静かに歯車が狂っていく』状態だったのではないか?
そういうことを考えてしまうような内容でした。

障害を抱えているのだから、そうに決まっているではないか?みたいに思われる方もいるかもしれませんが、なんとなく障害を抱えていても、訪問の対象になってない『ヘルパーさんや施設を利用していた方』や『避難所を利用できている方』とは、また違う問題のように私には思えたのです。

個人的には、現在障害を抱えていないとされているカテゴリーの方を見る時にもこういう考えをすることが大切のように思うんです。

具体的に気になったのは『相談する相手がいない』という問題を訴える方が多かったということです。
(他にも住宅の問題や病院の問題が聞き取りで多かったようですが、それは万人共通かな、と思いました)
『相談する相手がいない』という問題を抱えながら、その他の問題が誤魔化せていたから、もしくは問題は誤魔化せていなくてもたまたま死ななかったから、その根本的な問題が表面化出来なかった。『相談する相手がいない』という問題は、全ての問題を表面化出来ない可能性が非常に高いという問題でもあるわけで。
(ここでは 表面化=他人と共有 ぐらいに考えてください)

さらには死んでしまったとしても、孤独死のように死すら表面化しないパターンすらあり得たかもしれないわけです。

そういう人たちが地震が起きて、支援活動が活発化したことで、ようやく問題が表面化して支援の手が伸びた、という形にもなるんではないか?と思えたのです。

現在、防災や減災という、要するに災害を予防する動きが何度も注目されていますが、こういう『相談相手がいない』という状態を普段から無くしていくという施策が大切なのだろうな、と思いました。
(この『相談相手がいない』状態は障害者、健常者を選ばず、重大な問題につながる基礎問題と言えると思いますので)

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